美空ひばりさんの「人生一路」という曲が私はとても好きです。
「1度決めたら2度とは変えぬ これが自分の生きる道」
小学生のときからアナウンサーになりたい!と思い、その目標に向かって10代の頃から突き進んできました。
私の思いを叶えてくれたのがATVでした。
縁もゆかりもない青森に来たのは13年前。
眉毛が時代を物語る入社時の写真…苦笑
入社してまもなくのころは、会社の人しか知り合いがおらず、初めての一人暮らし、初めての社会人ということもあって、空を見上げては、南に向かう飛行機を見てよく泣いていました。
「あの飛行機に乗ったら千葉に帰れるのかな」と。
入社3年目。ねぶた祭りに来てくれた友人を青森駅のホームから見送るとき、泣き虫だった私が「また青森に来てね!」と言って笑顔で手を振っていました。
そして2010年12月。東北新幹線全線開業で八戸駅から新青森駅まで下りの新幹線に乗って生中継リポートを担当させてもらいました。
新幹線開業の生中継を終えて新青森駅で。牛肉弁当とともに。
長いトンネルを抜けるとアスパムや青森ベイブリッジなど見慣れた景色が車窓から広がって…「青森まで新幹線が通ったんだ」と感激しました。
新青森駅からATVに戻るとき、テレビで生中継を見てくださった街のお父さんが「おかえり!」と笑顔で私に声をかけてくださいました。
そのとき、私は「ようやく青森の人に受け入れてもらえたのかな」と思い、新幹線開業と合わせて2つの嬉しさがありました。
それが入社6年目です。
その3ヵ月後、東日本大震災が東北を襲いました。
頭の中は全く整理がつかず、ただただ必死でカメラの先の皆さんに揺れと津波から身を守るよう呼びかけ続けました。
今もこれからも変わらず被災地の皆さんの心に花が咲くよう祈り続けています。
震災の年に力強く咲いた桜
2015年4月、ATVの新番組「わっち!!」がスタート。
わっち!!木曜日1回目の放送を終えて
以降、県内各地へ取材に出かけることが多くなり、より多くの県内の皆さんとお会いする機会が増えました。ある日、取材をしていたら、街のお母さんが「駒ちゃん、何しているの?」と声をかけて下さいました。
初めて会ったお母さんでしたが「駒ちゃん」と言ってくださったことがすごく嬉しく今でもそのときのことは鮮明に覚えています。
時はあっという間と言いますが13年、こうして振り返ると全てが大切できちんと時を刻んでいます。
県内の皆さん、お忙しい中、取材を受けてくださりありがとうございました。
皆さんの大切な時間を頂き、イベントやじしゃばんどのライブなどに足を運んでくださりありがとうございました。
いつも温かなメッセージや誕生日などにお手紙をくださりありがとうございました。
私の宝物は、会社の私の机の脇にある大きな大きな一斗缶。この中にはこれまで皆さんから頂いたお手紙や写真が入っています。1つ1つが大切な宝物です。
街などで気さくに声をかけてくださりありがとうございました。
ATVの番組を見てくださりありがとうございました。
私は不器用で伝え手として至らなかったところも多くあったかもしれません。
でも、どんなときも私の元気の源はATVの番組を見てくださる県内の皆さんでした。
誰一人知り合いがいない中、青森に来た私ですが、こうして今は多くの皆さんとご縁をいただけたことに感謝の思いでいっぱいです。
「縁」は大切にしていれば永遠に続くものと私は信じています。
青森の皆さんから頂いたこのご縁、大切にします。
そして、心優しいATVアナウンサーズの皆さん、スタッフの皆さん、私を拾って育ててくれたATV、全ての皆さんに感謝します。
現在のATVアナ全員集合!大好きな写真^^
これからは、今のような仕事をして声を鍛えながらナレーションの学校に通ってナレーションの勉強をします。
最後の生放送30分前。
原稿の下読みをしています。
いつか「声」を通してまたみなさんとお会いできますことを楽しみに前に進みます。
ひとまず!ブログ「あゆみの歩み」青森テレビの章はここで幕を閉じます。
青森の「四季」の移り変わりも美味しい「食」も温かい「人」も熱く盛り上がる「まつり」もみんなみんな大好きです!!
青森テレビのアナウンサーとして務めさせて頂いたこの13年間をとても誇りに思います。
本当にありがとうございました。
これからも引き続きATVをどうぞよろしくお願いします。
感謝の思いを込めて。
今年も青森のみなさんの街に満開の桜が咲きますように。
みなさん、本当にありがとうございました!
駒井亜由美